学校 文科省 義務教育

国の基(もとい)の一つは、教育。
人が社会を営んで生きていくから、一人一人の健康とか長寿とか、幸福とか、希望、改善、発展・進歩が叶えられる。

一人ではこうはいかない。ヒト一人が単独行動で生きるなら、言葉もいらないし食って寝る以外は、生命を維持しようとする行いを阻害する何かから抗(あらが)うために闘ったり、その様な生活をより効率的に改善しようとする事以外、他に何もする事がない様に思えたり・・・。

ヒトは社会を作って、生き抜くための欲望は、単に食や自衛だけに留まらず、希望や喜びの思いを知って考えたり競争したりして、社会の中でもより秀でて、楽しみや余裕を勝ち取りたいとか、君臨したいとか考えだしたり・・・。

歴史上、人は集団で行動して共通認識を育んで、一人一人が生きていける場所を守り広げて、それを阻止しようとする敵に対抗して生きて行くその場を守り・維持して、今以上にその場を拡大しようとして来たとも見て取れたり・・・。

バラエティーで有名なタモリさんは、ヒトに好き嫌いがなくならない限り、戦争はなくならない・・・。と言われたとか言わなかったとか・・・。結構、哲学的なお話しなのでは・・・。

結局、世界の国々には、好き嫌いがあったり、そんな個性のある社会集団同士の衝突とか認識とか・・・。連綿と続く国と国とのお付き合い。・・・。

ヒトは生き抜くために、安寧と平和を望み、仲間と組んで集団で活動して、生き抜く力を大きくする。それには決まりごとが必要で、それをみんなに伝えるためには言葉や文字が便利で結局、最終的には教育が必要に・・・。

読み・書き・ソロバンが出来れば、不思議を研究して謎を解いて行って、生命活動にもっともっと効果的な方法とか即効的な手段を創造しようとするし、幸福や満足を求める様な余裕ができれば、アートや美しさ、人目を惹こうとしたり、嗜好や官能を満たそうともする。

一人一人の命と富を守ってくれる社会を維持するために、倫理や道徳、法を掲げてそれらを崩さない様に人々は努力もする。それらの人々は、教育を受けて考える力を養って、色々な事を血肉にして行く抜く力を培って、行動し繁栄を求めても来た。

さて、昨今の先生は縦割り的にお上からの指導要綱・要領に沿って、授業を進めて行かなくてはならない。

他方、教育には多面的なアプローチも必要、各々の先生の腕の見せ所が発揮されて、画一的ではない個性豊かで魅力的な力を持つ生徒を育んでくれたり・・・。

理解できる生徒と出来ない生徒に格差が広がったり、偏りが生じかねない義務教育。教育は先生と生徒のコミュニケーション。思いが通じないと教育の達成は不十分に・・・。

共通認識を効率よく、先生にも生徒にも余計な負担なく効率的に伝達できれば話は早い。ある意味、そのための指導要綱・指導要領なのでしょう。それを確立する文科省の指導要綱・指導要領の、現状は・・・?

先生と生徒の現状を、彼らからの声や、ニュース、ネットでの反応の声などで想像してみて、私たちはどの様な回答が出来るでしょう。社会は教育に手間ひまがかかる先生や生徒を、歓迎する余地がないかの様なイメージも哀しい現実・・・?

多感な年頃が、教授の時期に重なっている。ヒトの知能は個性的。成長も個性的。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンな国造りも大切。世間には、まだまだ余裕がないのか・・・?

教師にのしかかる負担。落ちこぼされる生徒。法の縛りや縦割りの要綱・要領の不具合は、精査されて逐次改善されているのでしょうか・・・?

国際的にもPRのうまくないという評判の、私たち・・・?
たとえば国技では、勝っても喜びの表情をその場で表わすのは、不躾だと教わって来たわたしたち。それは一面で美徳でもあり、他方では無表情ともとられたり・・・。

それは善し悪しの問題ではなくて、お国柄だから・・・。
でも事、将来を担う子どもたちと教育に従事する先生の皆様には、伸び伸びとした余裕ある環境を提供して欲しいと願う納税者の皆様には、文科省のからの積極的なPRとか、事実も知りたいと思う方々が決して少なくない、とも思うのですが・・・。

小学生イメージイラスト400×314.jpg