教育 未来

昨今、日本の教育水準の低下や教職員不足の問題で、喧(かまびす)しい世間・・・。

次の世を託す子どもたちに、知る力を教授して情緒や理性を豊かに培って、健全に育って欲しいのは親の願いでもあり、国の民たる私たちの義務でも・・・。

教育は国の存亡にかかわる大事のひとつである事は、火を見るよりも明らか。

話し変わって、司馬遷の史記。
史記と言えば、中国大陸がまだ戦国の世であった頃、紀元前770~221年の頃のお話が記された歴史の書の一つ。

その中で、昔の統治者たちの事や、国々の興亡や、偉人・刺客列伝などなどの事件が紹介されていて、司馬遷自身の私的見解さへ伺える様な、研究にまで及ぶような所まで、今では知られているお話。

当時の統治には。儒教的 VS 法治的な図が一つのカテとして俎上に上り、古来より喧々諤々な話題のひとつにもなってきました。

儒教的とは大まかに言えば、統治者の恣意的かつ情緒に重きを置く、聖人君子とか老子の無為自然・タオ(道)、上善水の如く的な統治する側される側を映したイメージ。

他方、法治的とは、統治者すら国の中で法に則り、信賞必罰を粛々と執り行う政(まつりごと)と言った感・・・。

法治で政を全うしようとした有名な偉人たちは、往々にして非業の死を遂げ、皆天才肌で、ポジネガ関係なくヒトの機微に触れられる力を持ち、理性的で冷徹なイメージで、史記を楽しむ私たちに訴えてきます。

ただし子産だけは、初めて法律を明文化して、羊舌肸(ようぜつきつ:叔向-しゅくこう)という賢人から明文化の危うさを忠告されたり、儒教の祖とも言われる孔子からも礼賛を勝ち取る程、後世の人々には好意的なアーカイブを遺した政治家のイメージです。

因みに孔子は、斉での政治活動で最後まで疎まれ、政敵立場の宿敵ともいえる晏嬰(あんえい)にも礼賛の辞を遺した事で有名。

古来より法に依る国家の安寧には一縷の懐疑の念を持つのが、かの大陸の人々・・・?加えて儒を標榜する半島の人々も・・・?血の中に脈々と受け継がれているかの様な印象は、あくまでも個人的で偏差のある見解です。固執してはイケナイ見解でもあるのは承知の上で・・・。

法への温度差が、地球上の風に作用しているという発想が安直ですが、どうにも頭から離れません。

さて、話を戻して教育問題。

法家的、冷徹かつ理性的に表現すれば・・・、教育は国民性や未来・繁栄をも左右する大事な問題。極論を申せば、無知は罪。賢い奴が生存競争に生き残り、繁栄を謳歌する。支配権を握り、この星に君臨する。

古来この国には、民草のかまどの煙の数や勢いを観て、その健全性に思い憂いたという歴史が歌に残って・・・・。

「実るほど首を垂れる稲穂かな」(詠み人知らず)もひねり出したり・・・。

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