船釣りを楽しむ件

船に乗って、これだけ釣れました。

おいしいレジャー、船釣り。

竿とリールのお話。

何時でも、誰でも楽しめる船釣りの件。

初夢と睡眠 暦と言い伝えの徒然

世間には旬とか節句とか、記念日とかの年中行事とか、あるいは、先人を偲ぶ日などがあります。

そう言えば、カレンダーも来年用に掛け替えないとイケナイ季節になりました。

イキナリですが、そのカレンダー(暦)はそもそも人類が繁栄するための予定記録表・・・。

一つの目印でもあって、季節の移ろいを知る手段でもあります。種をまく時期を知るとか、天体の動きを神話と重ね合わせて祭礼を行って、集団の結束を固めたりに使用されて来たなどと、お勉強してきました。暦は集団を統御する道具でもあった・・・。

今年も今日一日で区切りをつけて明日から新年。初夢や書初め、初詣で賑わいを感じる場があちらこちらで、始まります。

日々の暮らしの中で、時の流れを顕著に感じる一つの出来事に、景気から来る街の賑わいから感じる事もあります。毎年末のクリスマスの騒めきとか、人の流れとか・・・。

バブルな時代と、最近では色々な面でその雰囲気・色合いに違いを感じるのは当たり前かもしれませんが、それは人口の減少とか、高齢化とかも後押ししているのか、高揚感というか沸き立つ雰囲気というか、今は何となく粛々と、クールに過ぎ行く様な印象なのです。

人集まる賑わいの場の半径とか、個人々々の運動量というか熱量というか、例えばガスコンロな過去と電磁調理器の今の様な、ある意味効率的で場の半径での温度差が、今の方が格差があって、クッキリと境界線があって、別の言い方をすれば白熱灯とLEDの違いの様な違いの様な印象・・・。

さて、睡眠で夢を見るというのは、眠りの浅い時に起こる生理現象という事で、今ではその様にして知られています。

哺乳動物ではホボホボ睡眠をして、夢を見るのだそうで、そう言えば過去に生活を共にしていたワンちゃんも、寝ながら吠えていたりしていました。寝相も明らかに、夢見ているかのように四足を動かして、笑わせてくれたり・・・。

科学的には夢を見ている時は、覚醒した時に備えて脳内で、最適化を図っているそうです。なので、夢が覚醒時の悩みにならない様にしましょう。

仮想と現実はベツモノという事です。あなたの未来に夢での物語が影響を与える可能性は、極めて低い様です・・・?

とは言え、初夢は好い夢を見た方が縁起が良いと思うのも他方にはあって、願わくば一富士二鷹三茄子の惰眠を貪りたいモノです。

という事で何で初夢は、一富士二鷹三茄子なのか?を調べてみたら、富士は不死・無事、鷹は高、茄子は成す・成就にかけた洒落という言い伝えがメジャーな様です。

言い伝えと言えば、地震雷火事親父も最近は言わなくなった・・・。話がそれそうなので元に戻して、睡眠中の脳内の最適化はホボホボ、ネガティブな出来事が多くて、落語の様に寝直して夢の続きを見たいと思う夢は、まれなケースなのではないでしょうか・・・?

これは危険予知トレーニングのために、夢を見るのだというお話を聞いたことがあります。睡眠中は無防備状態、捕食される可能性があるので心配しつつ眠りに入るという、長年の習性から来ると言われれば、なんとなく説得力を感じたり・・・?

その事の真偽はこの際、置いておいて、良い経験や優位な経験・気持ちの良い夢は、ホボホボ見られるケースは少ない。

逆に子どもがオネショをするのは、良い夢を見ていてツイツイトイレに行く事を惜しんでしまうからなのか逆に怖い夢を見ているのか・・・?

そう言えば人生経験の浅い子どもたちは空を飛んだり、まだ見ぬ明るい未来を正に夢見ているのかもしれません。ならば世間に擦れれば擦れる程人はの夢は悪夢へと・・・?

子どもたちには明日が楽しみな夜は、中々眠れない。成長するに従って、すなわち年を取ればとるほど逆に睡眠不足は、明日の希望と関係が無くなっていく・・・。

なので、睡眠障害は早めに治療が必要。それ程ひっ迫していなくても、睡眠の質は深さに関わりがあるという事なので、あまりに夢見る夢子さんも、睡眠不足の恐れがあるのかもしれません・・・。

とは言え、初夢は良い夢で始めたいモノです。

さて、来年の事を言えば鬼が笑うとも、昔はよく言われていたモノです。このサイト落語ではございませんが、このネタも尽きかけているので、何時もの様に取り留めのない本日のお話も、これまでm(_ _)m

よいお年を。

書道【書道用品】手漉 画仙紙 漉き込 3×6初夢1反 50枚 - 半紙屋e-shop
書道【書道用品】手漉 画仙紙 漉き込 3×6初夢1反 50枚 - 半紙屋e-shop

成功と失敗の徒然



世間では、成功と失敗は反対語同士。一般的にはそれで納得している。失敗では無かったら成功だし、成功じゃなかったら失敗。そんなの当たり前。でもこの発想は、初期条件で違ってくる・・・。

例えばエジソンの場合は10,000回の失敗は、1回の成功のためのデータに過ぎない。電球を灯したり、蓄音機を鳴らすためにそれぞれ10,000種類のデータを集めてこそ、唯一の達成を勝ち取ったというワケ。

10,000種類のデータがあったからこそ、電球も蓄音機も作る事が出来たという彼のお話は大変参考になります。10,000回の失敗がないと、成功という達成も無かった。

これだって、納得できるお話。

だったら、一々失敗を恐れるのはお門違い・・・。例えば最高学府の大学を目指す受験生は、数学の問題を解く場合でも脳内で実験をするのだそうです。

彼らは受験に必要な数学の知識を単に詰め込んでいるのではなくて、学んで来た定理とか解法を駆使するために、実験しているのだと・・・。

解法には様々な、幾通りもの方法があって、最も時短で解答を導き出せる工程を実験しながら、難解な問題を解いているそうです。

そうすれば、一見気が遠くなりそうな様々な数学の定理とか問題も、有機的に繋がって解けそうにもないそれらの問題も解けるようになる。

脳内での実験は上述のエジソンの実験と同じで、発想を駆使して目標に到達するためのプロセスだった。なので、受験生は復習で何回も実験して、応用の幅を広げている。

つまり一見、初見の様な問題も、過去の良く似た問題を手掛かりに、脳内で実験して解いているそうです。

おそらくそれが、閃きの正体の一つなのでしょう。彼ら曰く、閃きはIQとか偏差値にあまり関係なくて、実験の回数に拠るところの方が大きいそうです。

さて、そもそも世間というのは確率の問題。当たるも八卦当たらぬも八卦的な・・・。解法という分母は、実験の分子と数字が一致して100%の成功を修める事が出来るとも言える・・・?

ところがある程度実験の経験を積めば、つまりその分母に近しい数字の実験を事前にさへこなしていれば、人は予想とか閃きが作動してデジャブの様な感覚で、成功を引き寄せる事が出来る。

なら、失敗とは成功を導いてくれる実験とも言えそうです。

ソモソモ私たち哺乳類とか鳥類は、産まれ出た時に親がいて、その親に育児されて成長する。その間に学習して一人で生きて行く知恵を身に付ける。爬虫類や両生類や昆虫とか菌は、下界で活動した時点で自力で生き延びなければならない・・・。

なので、100%本能で運動して成長するしか方法がない。

そんな時、個体として長寿を全うするのが成功だとしたら、DNAに仕込まれた本能と育児の間で培ってきた学習と、人間なら学習して芽生え始める自我で成功を勝ち取る事が出来るとも言える・・・。

成功するために与えられた、DNA、学習、自我の3つのベクトルを人は持っている。

神様は私たちに成功せよと言わんがばかりの3本の矢を与えてくれている・・・?

これを失えば失敗するのかもしれません・・・?

鬱陶しい冬と思う人の件



人は他の動物以上に環境に適応出来るから、世界中に拡散しました。

そして土着して、肌の色や、眼、髪もそれぞれの環境に見合った姿形に馴染んで生き抜いてきています。

それは、人に与えられた食生活の多様性のお陰でもあったし、加えて人類の世界中の拡散には、多分に知能も貢献しました。

私たちはバラエティー番組などで、世の中の様々な耐性を兼ね備えた動・植物に、驚かされたりしますが、それらの行動範囲を軽く凌駕してしまったのが、私たち人類。

一時なら深海にも、宇宙にも行ったことのある生物は、この地球上では、人ぐらいなのでは・・・?

さて、人が環境に対応できるというのなら、環境に左右されやすいという考え方も出来るワケでそう考えると、その土地々々で食生活を変えられざるを得ない自然界からの虐待(?)にも耐えて、他にも例えば温度や日照時間、酸素濃度、湿度にも耐えて順応して来たとも言えるワケです。

人が耐性を維持しているという事は、応力に気づかぬ内に依存しているとも言えます。気づかぬうちにその抵抗にエネルギーを代謝しているとも言えて、物理的にも作用・反作用の法則で、人は生きるために力を使っている・・・?

そうなると、それに依存しないで済む他の人(民族)に比べてそこに住んでいるがゆえに、余分なストレスに対抗している事になって、負荷がかかっている状態に耐えているとも考えられます・・・。

一方、私たちは四季を感じる喜びと、他方で真夏や真冬の厳しさとかにあるいは、梅雨の長雨にウンザリさせられたりもしたり(?)

そんな気分も味わってそこで、年中春や秋の様な気候に憧れたり。それでも四季の季節の中で過ごしていたいとか、温暖化とかにも気になったりもします。それらの事は時として、ストレスになるのかもしれません。

でも、そんな事は当たり前な事だし、時々は考える事もあるけれども、ショッチュウ気にしてもいられない・・・と思う事でしょう。

それでも私たちは、それらの気づかぬストレスに、曝(さら)されているとも考えられます。

そもそも生きているだけで生物は、ストレスに曝されている。
更に人には産まれてから死ぬまでに色々な"波"が訪れて、そんな事も考えると例えばバイオリズムも、一つの波とも言えます。

人にはそんな、何某(なにがし)らの波に、振幅や波長を無意識に感じられるワケで、その振る舞いに含まれる数字的な意味とか物理的真実も知る事になって、円運動とかスピンの概念が何となく身について、繰り返しとかも何となく想像してしまう・・・。

その様な波にはリズムの強弱という考え方も出来て、調子が良いとか良くない時だってあるのも真実として受け止められる。

同時に私たちは、慣性に支配されていて、急には止まれない毎日を、気づかぬうちに過ごしているとも言えます。色々な要素が加味されて、こうなって来るとチョッピリややこしい・・・?

そんな事を考えると、青春は立ち止まったり、振り返ったりせずにただただ前進、突っ走るというセリフは、少なくとも正解とは言いにくい・・・?
"青春"を"働き盛り"と言い換えても、同じな様な気がしませんか・・・?

そんなコンナも考えて、もしかしたら気づかぬうちに私たちは、ウッカリ陥穽にハマっているのかも知れません。

日本人プロ登山家の一人、野口健さんがとある講演で、冬山の登山中、雪多い山中で滑落すると、周囲は真っ白で無重力状態になって落ちていく時、その感覚は真っ白な空間に立ち止まっている様な錯覚に陥る、というお話をされたことを覚えています。

強烈な変化に見舞われているにも拘らず、自分の立場・状況に気が付かない状態です。

中でも気が付きにくいのが、感情の起伏。(くどい様ですが)その中でもウツは静かに忍び寄る・・・?

ヨーロッパでウツが多いのは、日照時間が作用しているという報告も見かけられたりしています。

冬になって、運動不足もウツに陥りやすい・・・。偏食もウツを招き寄せる一因という報告もあったり・・・。

この冬をウツに悩みそうなら、その対処方法を知って予知・予防出来れば幸いです。周囲の人にその様な人がいれば極端な話、命の恩人にもなりかねません・・・。

という事で冬のウツに打ち勝つ色々な方法をご紹介。知る人ぞ知る冬の鬱に負けない方法。

1. 朝日を浴びる散歩を楽しむ

2.運動をする

3.食生活を見直す

4.趣味や興味を持つ


1. 朝日を浴びる散歩を楽しむ

人類にとって東から昇る太陽には、特別な感情が込められる様になっているみたいです。 体内でも朝日を浴びれば好結果をもたらす作用が確認されているそうです。

メラトニンというホルモンが生活にリズムを与えてくれる効果がある事は、色々な処で紹介されています。

2.運動をする

運動が身体に、健康に不可欠な事を知らない人はいないでしょう。

新陳代謝を正常に機能させてくれるのは、身体を動かして筋肉や骨格、肺や心臓が血流に作用して、それに伴ってあらゆる器官を活性化させて動物の生きている常態ソノモノだと言えます。

3.食生活を見直す

偏食はウツに通じる道の一つとして、注目されています。

多様な食を与えられた人類には、逆に多様な栄養素が必要な身体になって来た。

動物には与えられた食し方があるのは、これはもう当然の領域で、馬や牛・羊と、ライオンやトラやヒョウ、イルカやアザラシ・オットセイの食に違いがあるのは、その生きている場所とか、スタイルとか、進化とかで変わっているのは如何にも否定できません・・・?

人にとって、ウツになりやすい偏食とはモチロン、好きなモノだけ食べて嫌いなモノは食べない事から来る栄養の不足。

特に気をつけたいのが、野菜から摂っている栄養。ビタミン・ミネラル・繊維質などが挙げられるでしょう。更に魚介類に含まれる栄養素の内でもDHA・EPAも必須の様です。

食す事が情緒に影響を及ぼすのは、臨床的に古来より経験として、知られています。

4.趣味や興味を持つ

人それぞれには独特の感性が宿っていて、衣・食・住以外でも、好き嫌いがあるのはココで一々説明しなくても良いのかもしれません・・・。

それは、得手・不得手とも言えるでしょう。時には不得手を克服しないとイケナイ宿命も訪れる事もあるかもしれませんが、自分にとって得意で、愛着を感じる趣味や興味に没頭するのは、少なくとも情緒の安定につながり、穏やかなフィーリングとか、爽快感とか、ポジティブな心持に誘導してくれる、個人々々の長寿の秘訣にもなるかもしれません・・・。

朝日を浴びる快感と海上で風を感じて射幸心を煽る、船釣りが個人的には幸福感を感じるひと時なのは余談ですが、楽しいモノです。

人それぞれの幸福感を味わえる趣味や興味を持つことは、確実に人生を豊かなモノにしてくれて、死ぬことの恐怖すら感じさせてくれるかもしれません・・・。

【12/1〜31セール】マスタード スターエッセンス ゴールデンバッチシリーズ

M-1グランプリ コーンフレーク ミルクボーイ お笑い



M-1グランプリで、ミルクボーイが見事に受賞、オメデトウゴザイマス。彼らのネタで、コーンフレークが売れに売れている・・・?

コーンフレークに、あれだけの笑いが秘められていたのには、審査員の皆様の反応でも伺えます。

漫才は二人の会話から溢れ出る創作喜劇・・・。過去にもお笑いが一世を風靡した時代もあって、コメディーはもっともっと昔からある文化。

そもそもこの国では室町時代に悲劇と喜劇の文化が、鮮明に歴史として記録されていて、それらは能と狂言として学校でも教えられたリしています。

今回のM-1グランプリでは、オール巨人さん、上沼恵美子さんの現役関西の芸人お二人がエッジの効いた審査員をこなして、それもM-1グランプリの面白さを提供してくれて、多くの視聴者を笑わせてくれました。

ダウンタウンの松本人志さんも芸人界のヒエラルキーに則って、参加している方々や視聴者にも負のストレスを感じさせることなく、見事に任された立場をこなして、笑わせてくれました。

MCのお二人もさぞや、緊張されたことでしょう・・・?

そんな事考えてみると芸人さんは例えば、サーカスのピエロの様に華やかでスリリングなパフォーマンスと喜劇の中の、喜劇のカテに徹していてその中で、聴衆を楽しませてコソの芸人というレッテルが貼られていて、笑わせてくれれば笑わせてくれるほど、プロ根性が見え隠れしている様にも思えます。

お笑い芸人の皆様の刃渡りをする様な、会話の技術には、舌を巻かざるを得ないでしょう。その緊張感すら笑いに持って行く技術、逆に言えば、一歩間違えると奈落の底に転落してしまう会話の妙・・・?

それにしても、お笑いに経済が絡むと、そこに必然の生殺与奪が発生して、純粋に人を笑わせる事が好きな芸人でも、名を上げるにはそのシステムに否が応にも組み込まれることに・・・?そういう意味では、お医者さん同様に職としては日々の精進が問われる商売とも感じたりします・・・。

芸人さんには社会を映したり、人目を惹いてメッセージを発したり、クラウドの色合いを微妙に演出できるベクトルが、与えられているからなのかもしれません・・?そのあり様は、あたかもインフルエンサー・・・。

これは紛れもない一つの権力にも通じていて、他の権力を保持している人々にも影響がでて来て、それを保持した時点で生殺与奪の掟に従わなくてはならなくなる・・・?ご本人にしてみれば有名税が、課せられた事に・・・。

なので、様々な既得権者から突つかれたり、モテハヤサレたりして、世間の荒波にもまれる人生に船出する事にも・・・?名を売り、顔を知ってもらって世渡りしないといけない芸人さんは、本当に覚悟が必要でしょう。

時に重圧に押しつぶされそうな時もあるし、無重力状態を味わう事もあるでしょう・・・。それでもお笑い芸人なら、笑いで応えないとイケナイ・・・?それでこそ、プロフェッショナル・・・?

そんな事をツラツラ考え出してしまうと、先端で頑張っておられる芸人さんの知力・体力には脱帽せざるを得なくなって来て、迂闊にも笑わせて頂いた自分自身に、冷や汗と羞恥心をツイツイ感じたり・・・?

それでも尚、お笑いに神技的な芸人の皆様の漫才には、その様な事をも感じさせない笑いを提供してくれる・・・?

笑う門には福来る、笑いある人生は長寿の秘訣・・?世の中、悲劇と喜劇で成り立っているのかもしれません・・・。とは言え、お笑い談議でこの様な真面目(?)なお話は、水を差す行為なので、無粋なお話なのでしょう。マァそうは言っても、笑いのない人生は確かにツマラナイ。

さて、今回のM-1グランプリでは、ラグビー代表の3人も参加されていて、その中に稲垣選手も・・・。彼の活躍で印象的だったのが、スコットランド戦。

メチャクチャ、カッコよかった! 思わず涙腺が緩んでしまったあの光景で、稲垣選手はイカツイ戦国武将のイメージ。眉一つ動かさずに、何事もなかったかのようにミッションをこなしていく頼れる戦国武将の様・・・。

彼が、M-1グランプリで相変わらずの表情で一層の笑いに対する一見、対照的な映像が相乗的にお笑いのエンターテインメントを押し上げてくれてもいた様に感じたり・・・。

どうせここまで無粋なお話をしてしまったので、最後の最後まで・・・。古来、記紀は関西で産まれて、能も狂言も関西発。神武東征以来、この国の文化の色濃いこの地の笑いには、色々なエッセンスが詰まっていて、今なお結構面白い・・・。

昨今のお笑い業界では色々な事件もあって、お笑いとは言え看過できない出来事には、厳しいお笑いで反省も促す・・・?

もし、そんな発想が当たっていて、お笑いが効果を発揮してくれたら、笑う門に、福来る・・・?

クルマと時計の回転運動と徒然



クルマも時計も角運動・・・。算数でなら角度 θ と半径 r の世界。

クルマは角運動を直線運動に変えて空間を移動する乗り物で、時計は時間を刻む道具。私たちはそれらを活用して日々暮らしています・・・。

さて、クルマの未来予想。

ガソリンで走る時代を終えて、モーターで走るクルマが主流に・・・?

そのモーターはホイールごとにまとめられて、クルマには4つのモーターが稼働して路上を走る・・・。

内燃機関の今のエンジンより、4つのモーターはパーツが少なくて、ギアチェンジも不要になるからトランスミッションも無くなって、コンピューター制御。

クルマはバッテリーとモーターとコンピューターで自動運転。

そんな時代になるとクルマ業界は、バッテリー・モーター・コンピューター制御とデザイナーの世界になって、今とは想像もつかない世界。

クルマは路上を終始AI制御で効率よく走り続け、駐車場が極端に減って電車や飛行機、旅客船のように不特定のクルマが不特定の人々に活用される。

待ち時間のない、しかも各個人移動手段例えば自転車の様に・・・。個人で所有してもいいけれど玄関を出ればクルマが乗車を待っている時代・・・?

目的地に着いたら、クルマを出てそこに駐車しておいても良いし、他の人がそのクルマを活用しても良い様な乗り物に・・・?

AI制御なので、交通事故はほぼ0で渋滞もご同様・・・?

他方、時計はすでにデジタル化。角運動でなくてもよい世界・・・。

考えてみたら、地球も太陽も角運動。銀河にも中心があれば角運動・・・?

角運動とは回転。回転率を上げれば効率的な私たちの世界・・・。

取り留めのないお話なのだけれども、技術の進歩は確実に生活に変化をもたらして、生き方がユックリ変わっていって・・・。

他方、大昔から引きずっている悩みも抱えていて・・・。

でももしかしたら、テクノロジーがその悩みも解決してくれる時が、訪れるかもしれません。



フレデリック・コンスタント FREDERIQUE CONSTANT クラシック クォーツ クロノグラフ FC-292MC4P6B2 シルバー文字盤 メンズ 腕時計 【新品】

しめ縄の徒然



正月が訪れる時期、玄関にしめ飾りを設える家庭が何時しか珍しくなったような気がします。

文化住宅でさへ、飾っている家庭が多かったのが昨今では、少数派の様な印象です。

ウィキペディアでは、しめ飾りを注連飾りで解説されています。

一説に、しめ縄は雲を紙垂(しで:紙飾り)は雷を表していて、雷が良く鳴る年は稲がたくさん実って豊作だった事から祀られる様になったとか・・・。

しめ縄は、神社以外でも伊勢の夫婦岩や相撲の力士、結界を表す場合は大樹や巨石などに飾られたり・・・。

八百万の神々と稲と雲と雷を象徴する、日本独特の文化。

幼い頃、しめ縄は決められた日に飾り、決められた日に焼却する事で、神々へのお礼と祈願を年中行事として行われていた様です。

しめ縄で年越しを迎えるという行事も今では珍しい光景に・・・。

それ以前に旗日で国旗を飾る風習も珍しくなって、日の丸も会社の社旗と同じようにして一部の会社でしか見受けられない程、珍しい光景に・・・。

少なくとも昭和世代頃までは、小学校や幼稚園でも日の丸が飾られた光景はそんなに珍しくも無くて、ハタメクというキーワードの印象は旗がパタパタ風に吹かれて、たなびく印象だった・・・。

古来、旗は戦争・争いの象徴でもあって、時や場所を選ばず軍事侵攻のイメージでもあってか、旗に寄せるネガ・ポジが両極端で伺えたりもします。

オリンピックや万国博覧会などの国際的な催し物の時には、賑やかな印象を与えてくれるイメージもあったり・・・。

古式ゆかしき伝統 ≒ 国粋 のイメージが、レッテルの様にヒトの心に印象付けされている様にも思えたり・・・。

しめ飾り 旗日の事始めは、祈りや団結して生きて行くための記号の一つだったのでは・・・?

記号を活用するのは生物の本能。魚の婚姻色や、毒を持たない被捕食者の結界手段(天敵に食われないため)の記号。

野鳥や獣の衣替えとか・・・。

ハレとケとか、日常と非日常、という発想ってそもそも生物の生い立ちの中から生まれた現象なのかもしれません。

野に咲く花にもその様なイメージを感じるのは、もはや考えすぎ・・・?

買い物で得する野菜と果物の選別の件。



緑黄色野菜で日頃お世話になっている、ブロッコリー。個人的にはカリフラワーの方が好きなんだけれども、このブロッコリーをスーパーマーケットで選別する時どの様な感じで選んでます・・・?

例えば緑鮮やかで、シッカリ詰まって硬い感じが栄養たっぷりで美味しそうだとか・・・。

専門家、農家の皆さんが仰るには、ムラサキがかった濃いイメージの緑なのが美味しそうです。寒さに耐えて栄養分をシッカリため込んでいるとの事です。

加えてブロッコリーの茎の部分は栄養分が豊富で、千切りにして天ぷらにすると結構美味しくて捨てるには非常に勿体ない部分なのです・・・と教えてくれています。

話変わって、キウイフルーツ。今では国内でも生産されている果物。輪切りにすると緑色と黄色系があって、近頃体に優しい栄養分がタップリあるとして人気な果物です。

このキウイフルーツを購入する時にもし横に切ったら、なるべく真ん丸なのを選びがちです。



ところがこれも同様、専門家、農家の皆さんが仰るには断面が扁平していて真ん丸なのよりも楕円形になっている方が栄養分は豊富で美味しいとのご回答です。

その理由は、栄養分を補給してくれる幹に近いキウイフルーツが先に言え養分を吸収して、あの様に真ん丸から扁平して行くから・・・。

見た目、どうしてもこっちの方が美味しそうと感じるイメージに反して、ブロッコリーやキウイ―フルーツの様に実はこっちの方が美味しという例は、他にも沢山あります。

例えば、柿。

柿は栄養分を外に逃さない様に、外皮に白い粉を吹いたような状態になる。それは、見た目にはあまり美味しそうには感じない。スーパーマーケットで選別する時はピッカピカの柿を選びがち・・・。

でも本当は粉を吹いたような柿の方が、甘くて美味しい可能性が高い。

お買い物には、先入観が先攻して案外と外れていたり・・・?

素粒子物理学では、力は4つ



力は、この世の中4種類しかない。

1.重力
2.電磁力
3.強い力
4.弱い力

それが、素粒子物理学でいわれている標準理論。

つい最近、ヒッグス粒子も認定されて、ノーベル賞の受賞で話題になりました。ヒッグス粒子が物質に質量を与えて、物質が宇宙に存在できる様になった。

それらは素粒子物理学で研究されて、ニュートンの万有引力も包含して、相対性理論も包含して、素粒子から宇宙までを解析できる様に発展している途中というのがイメージです。

その世界で活躍されてきた、偉い人々は常に対称性を意識していて、数式にはそうあるべきだと皆が皆、日々研究されていたという印象をTV番組やネットを観ていれば、その様に感じます。

対称性と言えば、魚類や爬虫類哺乳類もみんな左右対称。植物も左に葉を茂らせれば次には右側に・・・。

世の中にはその様な対称性が他にも色々あって例えば、点対称とか・・・線対称とか・・・鏡面対称とかも。

まだまだ色々な対称性があって、それらを追求する事も一つの学問になっているそうです。

さて、ヒッグス粒子の発見は、その対称性の自発的な破れによってこの宇宙が存在している事を説明している一つの事実として、センセーショナルな出来事なのだそうです。

対称性の自発的な破れとは、南部陽一郎博士のノーベル賞で明らかにされた宇宙の一つの事実だった。南部陽一郎博士のノーベル賞受賞は、2008年の事。

簡単に説明すれば、宇宙の真空は揺らいでいて、素粒子は対で現れては消えたりしていて、その対とは性質が正反対になっていて、ふとしたきっかけで、本来ならば対消滅しなければいけないのに、片方だけが宇宙に存在する事になる。

それはまるで綺麗に均整の取れた鉛筆を削って、芯の先を根元にして立てようとしても立たない様に、あるいは山形のワインの瓶底の様な頂点にビー玉を載せてもコロコロと頂点には留まらずに、低いところへと転がっていく様のように・・・。

それを対称性の自発的な破れと言って、宇宙の論理の一つを発見したことになりました。そう解釈しないとこの世の存在に説明がつかない。リンゴが落下するように・・・。

それらの事からヒッグス粒子はどうやら認めざるを得なくなっていて、長々と見つけられなかったその素粒子が見つかった。

人も動物もその外観は左右対称を愛するようにできている。先に述べたように・・・。どうやらこの宇宙も色々な対称性を愛していて、人類はまだまだその未知の法則を探らなければならない・・・?



素粒子の宴 新装版/工作舎/南部陽一郎 / 【中古】afb

歴史遺産と痛しかゆしな私たち



世界の歴史遺産は観光スポット。

欧州の組積造りの大きな構造物を目の当たりにすると、巨石を積んで巨大な建造物が今なおその姿を一部残していてそれが、歴史の流れを迫力をもって伝えてくれます。

連綿とした時の流れで、それらの構造物の中には使用されなくなって風化していったものも少なくありません。

中には資材を拝借して新たな構造物の資材になったりしたこともあるそうです。

その資材とは、鉱物系が多い様でポッカリ穴が開いていたり・・・。

人工の遺産はその国のみならず、人類の遺産という発想は実物を眺めたら、無条件の納得感を感じたりします。

ラジカルな時の浅い思想や発想で、安易に破壊される歴史遺産ほど、残念な事はありません。

英国の人々は古き良きモノに愛着を感じる事で有名です。

英国博物館が世界各国の遺産をストックした事はある意味、人類への遺産に関する想いに応えた部分もあるとは言えます。

かの国の民の収集癖に時として、悪辣な窃盗的史実というネガティブなイメージもある反面、遺してくれて感謝なイメージもあったり・・・。

歴史ある国家の振る舞いに、国際経済や平和に対しての暗雲をたち込ませるニュースは今でも、紙面を賑わせています。

権力の象徴でもある、歴史遺産。

人類のおバカな本能が、それらを造ったり破壊したり・・・?

なんともはや、痛しかゆしな人類の業たる歴史遺産・・・。

お札と聖徳太子と徒然


つい最近までは、聖徳太子を拝みたくて誰だって頑張っていた・・・?今は福沢諭吉。

聖徳太子もイエスキリストも馬小屋で産まれた偉人。

厩戸王子はもしかしたら干支が午年だった・・・?聖徳太子は蘇我馬子が伯父さんで、篤く三法を敬えと憲法を制定した今でいう政治家だった。

以来、仏事は当時の都の各地に広がって、仏閣も建立されて仏教が根付いた。

大化の改新後も奈良の都には多くの仏閣が築かれて、仏教の勢いは都に線香の匂いを充満させたからなのか、それを煙たく感じたのか、桓武天皇は引っ越しを決意。

この時、引っ越し場所を決めるのに占朴から派生したと言われている風水を基にして京へ・・・?

占朴は大陸の殷(商)という国が大昔に編み出した神々との交信手段の一つ。もう一つは甲骨文字。甲骨文字はいずれ統一・変化して漢字と呼ばれる様になった。

文字は商人が神々との交信のために編み出した手立ての一つだった。聖徳太子はこの文字のお陰で、隋の煬帝と文通して国交を始めた。隋が滅んだ後も唐ともそれは続いた。

桓武天皇は天皇だから神事のトップ、聖徳太子がいなかったらこんなにお寺も建立はされていなかった・・・? なら聖徳太子は仏事の始祖。

そしてこの頃から、日本は二本柱・・・。その後も、関西・関東、山陰・山陽、幕府・朝廷、神社・仏閣、横綱も東西、等々・・・。

他の国なら一神教で、国を統一するのは王朝一つ。

聖徳太子の当時の日本はトップは天皇だったけれど、政治は蘇我氏。

春秋戦国時代、孔子は魯国の姻戚の三桓家の権力を削いで、魯公に中央集権化しようとして敗北して、論語を弟子たちが編纂して名を成した。

聖徳太子は、和を以て貴しとなすとして、この国の基を遺して、万札になってなおさら国民に知らぬものはいない存在に・・・。

お札が流通しているうちは、紙幣の人物に興味を覚えてどの国の国民も歴史を知り、その偉人の名も覚える・・・。

聖徳太子は万札と5千円札両方で活躍していた頃もありました。

がんばれベアーズの再放送

もう40年以上も前になる米国の映画、今観ても面白い大ヒットしたコメディ映画。

アメリカの一地方を彷彿させるシーンにピザ、ハンバーグ、フライドチキンにバドワイザーはアメリカの象徴、2サイクル125cc程度のバイクに、ハーレーダビッドソンのロゴシールを張り付けて、走り回っているタバコを吹かした悪ガキなんて今ではもう古い・・・?

今こんなことして走り回っていたら日本ならずとも、米国でも即、補導だろうし、かえって不自然なのもパロディー。

米国独特のデフォルメとコメディーの映像の反面、日本的な泥臭い人情コメディーの一端とも思えたり、理屈抜きで情感に訴えかけるシーンもあったり、今なお悩める社会風刺への投げかけみたいな映像もこのクラシック映画?には、エッセンスとして感じられたりして、まさに浪花節的な土臭いところもうかがえる名作でしょう。

個人的にはブルース・ブラザーズより、日本人には理解しやすい米国のコメディー・・・。

ブルース・ブラザーズには、かの国の人々のキリストへの信仰の敬虔な思いが投影されていたりして、誤解を恐れずに言えば、西欧では多少なりとも感じられにくくなった様にも思える、キリスト教信仰の色々ある一面の内のある一場面を、他宗教感覚の日本の一個人が感じる、彼らの信仰感への濃厚さとかを感じたりしたものです。

がんばれベアーズには、それは希薄でかつてのTV番組でもある、ミスター・エドや、じゃじゃ馬億万長者の様な米国の超クラシックなコメディ、純粋に娯楽と受け取って楽しめて、チョッピリ社会風刺もあるけれど的な番組に近しい感じのする・・・そんなかなり冗長な感想を懐かしさと共に、感じたりもしました。

当時のハリウッドが色合いを変えて、エンターテインメントとしての映画が昔の様な華やかな活況のない息苦しさを感じる昨今の映画産業、この頃にはこれから成長していく様な勢いを感じさせてもくれて、そんな事を考えていると自分はもう老害の域なのかとも感じてみたり・・・。

コンバットや西部劇も無邪気に楽しんでいたあの頃。地政学が禁句にも等しかった当時からすれば、今はヤッパリ主権に対する意識も変わってきたのでしょうか・・・?

マァそんな無粋な事は別にして、チョッピリ文化的に興行を楽しむ余裕を持ちたいと願う事を思い出させる映画。がんばれベアーズは確かに面白い映画でした。

がんばれベアーズ897×1267.jpg

客観性と主観性の主観の件

お地蔵さん640×480.jpg


世の中には客観的な歴史観を厭う国がある様です。歴史を捏造して、教育している国があるみたいです。

理性より、真実より情緒が教育でも大切なのか、歴史を捏造して子どもたちを教育する。

理科系に情緒や主観性は通用しない。数字や物理現象には客観的で理性的な考えで臨まないと先へは進めない。

自動車も前に進めないし、電化製品もうまく作動しないし、飛行機も飛ばせない。

学問は客観的でないと、理性的でないと成り立たない。 自国のアーカイブに理性的で客観的に対応しないと事実は変わるでしょう?そう思うのです。

人の営みで国家が生まれるけれど、その場その時の風土や気候がその地に住む人々に影響を及ぼして国が生まれるのは一つの事実がある限り、歴史には考古学的な真実の追及や、発掘されたモノへの判断には理性と客観性がないと、事実とは乖離してカオスからは抜け出せない。

そんな事を考えていると主観性には、厭う気持ちに追従の余地がある。 客観性はすでに二項対立というか彼我(ひが)の関係、複数の発想が成り立たないと成立しないから、厭う気持ちよりも真実や事実が優先する・・・。

少なくとも第三者的に傍観すればそんな発想もある・・・?

ガリレオもケプラーもニュートンも徹底的に、客観性と理性で成果を上げて歴史に名を残した。

主観を吐露して名を成したのは、神様だけ・・・? それ以外許されているのは、宇宙の法則・・・?

極めて主観的な、客観性と主観性の件m(_ _)m

リテラシーは教育から、生きやすさの件



人間ヤッパリ、生涯教育。

"人は考える葦である"とは、よく言われたモノです。パスカルは天才だった。

さて、昔の権力者の中には、庶民に知識を与える事を拒んで、年貢を納めさせ奴隷のように使役していたという歴史観の一面があって、例えばお隣の国の歴史書の中に、鄭(てい)の子産(しさん)が初めて成文法を為したことに対して、晋の賢臣と言われる羊舌肸(ようぜつきつ:叔向)から、たしなめられ、その件を儒教も道家も羊舌肸サイドを支持した結果になっていて、それが老孔の教えの時代の限界を正直に露呈しています。

その様なお話には、歴史を学ぶ価値があるとも思っています。

つまり、論語も道(タオ)も兵法も、学ぶべきことは今でも多くあって、参考になるお話もあるけれど、生身のそれらはその時代に考えられた発想だという事も歴史は教えてくれていて、それらは時間の中で色合いが変わって来た事が、歴史のお勉強の中でリテラシーとして私たちに考える事を教えてもくれているのだと思うからなのです。

昔は法律を庶民に教える事は、国家の興亡に掉さす事として、権力者にはその点でネガティブに捉えられていた。

今に言い換えれば、情報には価値があって知る者と知らざる者の間に電位差が生まれて、それが動力の源になるような発想。貧富の差が自由市議経済のエネルギーだとでも受け止められそうなイメージがあります。

もし、官僚や政治家たちの皆様が、その様な発想で国家の運営に血眼になられては国民は、たまったものじゃない。

例えば、千兆円の負債が国民に課せられているという一面だけをデフォルメした見解とか、消費税・税金や国債に関するイメージ操作を匂わせる見解とか・・・。

もし、それが真実だったら、如何なモノかと思うのです。

経済界では公取法なるもので結構派手に、報道されたりもしていますが、官僚の健全性はどの様に担保されていて、経済界の公取法の様な処方が官僚の秩序に果たして、同等クラスの効果を発揮しているのでしょうか・・・?

あるいは今なお右翼左翼などの、二項対立的一見単純な発想で、今を論じられたリして、現実と論争の乖離に虚しさを感じることがあったりもします。

まさしくどこまでが真実で、どこから虚構なのかグラデーションのついた話題の色々。

そこには真贋を見極める事がリテラシーでもあり、コスモでもあって、グラデーションはカオスで人の遊び心を刺激して、そこにも経済が生まれたりと言うような発想も浮かんできたり・・・。

人類の進歩の歴史の中には、生きやすさを追求してきたがために、生きにくい部分も結構生産してきたとも思えたり・・・?

けれども、人間ヤッパリ、生涯教育なのだと思う今日この頃な今回も一人漫才なのです
m(_ _)m

天ぷらうどんの大阪と東京の件



うどんの恋しい季節。

うどんと言えば関西風と関東風で全く異なる出汁。東京と大阪で頂くうどんの見事な差。

東京ならうどんよりかき込む軽食は蕎麦のイメージでしょう。うどんにも地方地方で有名な美味しい名産地が結構賑わってもいます。

さて、天ぷらうどん。バリバリ粉もんなレシピ。大阪ならうどん定食でトリプル炭水化物定食。

うどんもてんぷらの衣も、小麦粉。うどんはグルテンの粘りが喉ごしのポイント。天ぷらにはグルテンの作用は不必要、てんぷらの揚げ具合は衣が命。

関東は醤油主体、関西は昆布・カツオだし主体なうどん。出汁の色合いが話題になるのもうどん。

そう言えば、昨今煮干しの出汁が不人気なのか、味わえない様な気もします。

鉄道の駅の構内でかき込むうどんの美味しさが、味わえる季節になりました。

ラグビーワールドカップ テストマッチ

ラグビー958×1334.jpg


8強入りしたラグビー日本代表選手。

次期テストマッチに参加決定のニュース。

今回のラグビーワールドカップは記憶に残るW杯として高く評価されたとしてニュースに。

今回のラグビー熱は感動モノでした。

正直、他のスポーツとはまた違うというか、ラグビーだからこその、ガチのぶつかり合いが手に汗握る緊張感とリアリティーで画面からもその迫力が強烈に印象的だった。

力とスピード、戦略とワザ、観ている内にルールもおぼろげながら分かり始めたら、一層画面にカジリついていたのに気が付いたものです。

今までずっとラグビーの試合をやっていたのに・・・。

そもそもテストマッチは、ラグビーから生まれた真剣勝負の場。

その栄誉に輝いた日本代表選手。

ますますのエキサイトしたゲームを展開して、ラグビーの魅力をパフォーマンスしてガンガンつき進んで欲しいと感じたニュースです。

柿スイーツが美味しい件

cc柿550×364.jpg
柿の美味しさ真っ盛りの季節。

サクサクが好きな人、熟した方が好きな人色々・・・。

柿の名産地の一つ和歌山県の生産家の一人がTVでご披露していた柿の食し方に、七輪の上で焼いていました。 焼き柿・・・?

過程ではガスコンロで焼くのだそうです。 検索してみたら、バニラアイスとかシナモンと相性がヨロシイ様です。

ジュクジュクに熟した柿と牛乳でミキサーで、撹拌して冷蔵庫で冷やせば柿プリンの出来上がり。 柿って、結構地味なフルーツだけれど、ちょっと手を加えれば美味しそうなスイーツに・・・。

ちなみに、柿は表面に粉が吹いたような方が、ピカピカな柿より美味しいそうです。あの粉は紫外線から身を守るために柿自身から出た美味しさの証なのでそうです。



【送料無料】和歌山産 ”たねなし柿” 訳あり 約7.5kg 大きさおまかせ【予約 9月末以降】

キウイフルーツの選び方と食べ方



キウイフルーツもスーパーで頻繁に見かけるフルーツになりました。

健康にも貢献してくれる、キウイフルーツ。

カリウムが豊富なので、減塩効果が期待出来るフルーツとして有名です。

スーパーなどで見かけるキウイには、丸くて細長いタイプと、若干扁平していて切り口が楕円形になるタイプのキウイもあります。

これには見た目も違うけれど、甘さにも差があるのだそうです。

若干扁平しているキウイフルーツは幹の近くで成長した証拠。栄養分をシッカリ先取りして肥に肥えた証なのだそうです。必然的に甘い確率が高い。栄養価も高いという事になります。

更にキウイフルーツには、枝から落下して実が熟す性質があるので、未熟で酸っぱいキウイフルーツならテーブルで落下させてやると熟成が早まるそうです。

酸っぱいキウイフルーツは落としてやる。・・・という事なのだそうです。

辛子高菜、人気No.1漬物にハマっている件



釣り行きで、まだ明けきらぬ真夜中にコンビに寄って、おむすびとかパンとかお茶とかの買い込み。

そこで最近、必ずチョイスしてしまう、辛子高菜のおむすび。

このおむすびが、もっぱらヤミツキに・・・。
辛子高菜って、とんこつラーメンのトッピングとか、チャーハンの隠し味で結構マッチングして最近色々とお世話になっております。

気が付いたらマイフェなお漬物ナンバー1。

一度は味わっていただきたい、辛子高菜の件ご報告。



辛子たかな【2袋セット】3種から選べる 辛子高菜 からし高菜 高菜漬け 漬物 たかな漬 油炒めにも!送料無料・ネコポス【博多久松謹製】軽減税率対象 キャッシュレス<楽天イーグルス感謝祭>

N高等学校、入試のない通信高校の件

ff卒業証書550×412.jpg


入学試験のないN高等学校から慶応大に8人が入学のニュースで、通信教育が評判の様です。

あえて学ぶ事を義務教育で終えて、社会人デビューした人々の中で独学によらず、師から教えを得られる学校というような印象の、通信教育。

通信制で学べる自由度、働きながらも学べる二部制の学校が少なくなっている中、N高等学校は評判上々の様です。

人間生涯学習とは言え、生きて行くために経済的とか環境の束縛とかで、学びたいけれど学べない立場って、この国にも今なお無い事は無い。

メンターに恵まれ、中学校で教育の依存から離れて、一般的な教養というかその場では得られない別の教養を身に付ける方々もおられるでしょう。

そんなこんな事を考えてみる時、N高等学校も他の高等学校にはない魅力を感じたりしました。

逆に義務教育も年々方針が変わって、それが世代間のギャップにもなったり、進化にもなったり、それは世間の無常を感ぜずにはいられない気持ちにもさせてくれたりも、してくれます。

寺子屋時代の読み書きそろばんこそが、最もミニマムな共通言語の学問だと考えて、それだけでは意思の疎通は難しくて、時流の常識とか道徳とか、社会の共通認識に通じる軸になる教育とかも考えないとイケナイことでしょう。

人はあまねく平等に教育を受けられる権利を実際は、有してはいないのは百も承知の上で、それでも網の目をこぼれない様に、一人でも多く生き抜くための教育を授けて貰える機会を増やしてくれたら、ありがたいなどとも小生意気に感じたり。

まだまだ一部の篤志家や有志に依存しなければならないところがあるのだとも思ったりしました。

国の存続は国民の存続。国の基の一つには教育もある。

でも教育は無常で不変ではないから特殊・・・?

特殊はベクトルを誤ると危うい印象。学校の優越とか教師の優劣とかにかまびすしい世間。

教育問題って、考えれば考える程難しい・・・?