成功と失敗の徒然



世間では、成功と失敗は反対語同士。一般的にはそれで納得している。失敗では無かったら成功だし、成功じゃなかったら失敗。そんなの当たり前。でもこの発想は、初期条件で違ってくる・・・。

例えばエジソンの場合は10,000回の失敗は、1回の成功のためのデータに過ぎない。電球を灯したり、蓄音機を鳴らすためにそれぞれ10,000種類のデータを集めてこそ、唯一の達成を勝ち取ったというワケ。

10,000種類のデータがあったからこそ、電球も蓄音機も作る事が出来たという彼のお話は大変参考になります。10,000回の失敗がないと、成功という達成も無かった。

これだって、納得できるお話。

だったら、一々失敗を恐れるのはお門違い・・・。例えば最高学府の大学を目指す受験生は、数学の問題を解く場合でも脳内で実験をするのだそうです。

彼らは受験に必要な数学の知識を単に詰め込んでいるのではなくて、学んで来た定理とか解法を駆使するために、実験しているのだと・・・。

解法には様々な、幾通りもの方法があって、最も時短で解答を導き出せる工程を実験しながら、難解な問題を解いているそうです。

そうすれば、一見気が遠くなりそうな様々な数学の定理とか問題も、有機的に繋がって解けそうにもないそれらの問題も解けるようになる。

脳内での実験は上述のエジソンの実験と同じで、発想を駆使して目標に到達するためのプロセスだった。なので、受験生は復習で何回も実験して、応用の幅を広げている。

つまり一見、初見の様な問題も、過去の良く似た問題を手掛かりに、脳内で実験して解いているそうです。

おそらくそれが、閃きの正体の一つなのでしょう。彼ら曰く、閃きはIQとか偏差値にあまり関係なくて、実験の回数に拠るところの方が大きいそうです。

さて、そもそも世間というのは確率の問題。当たるも八卦当たらぬも八卦的な・・・。解法という分母は、実験の分子と数字が一致して100%の成功を修める事が出来るとも言える・・・?

ところがある程度実験の経験を積めば、つまりその分母に近しい数字の実験を事前にさへこなしていれば、人は予想とか閃きが作動してデジャブの様な感覚で、成功を引き寄せる事が出来る。

なら、失敗とは成功を導いてくれる実験とも言えそうです。

ソモソモ私たち哺乳類とか鳥類は、産まれ出た時に親がいて、その親に育児されて成長する。その間に学習して一人で生きて行く知恵を身に付ける。爬虫類や両生類や昆虫とか菌は、下界で活動した時点で自力で生き延びなければならない・・・。

なので、100%本能で運動して成長するしか方法がない。

そんな時、個体として長寿を全うするのが成功だとしたら、DNAに仕込まれた本能と育児の間で培ってきた学習と、人間なら学習して芽生え始める自我で成功を勝ち取る事が出来るとも言える・・・。

成功するために与えられた、DNA、学習、自我の3つのベクトルを人は持っている。

神様は私たちに成功せよと言わんがばかりの3本の矢を与えてくれている・・・?

これを失えば失敗するのかもしれません・・・?