芸術作品にメッセージを訴求するのもアリなのは周知の事実と理解した上で、敢えてそれを避ける様なアートも芸術という事実。
例えば、反戦とか虐げられたミニマリストとか、攻撃性すら標榜しているかのような表現方法で聴衆に訴えかける手法とか・・・。それって行き過ぎとか、吐き気とか、もはや嫌悪感とか、悪意とか・・・。
世の中に争いが絶えないのは、好き嫌いがあるからなのも一つの真理。
好き嫌いが無ければ、興味もないし気にも留めない、第一気が付かない。
気が付かないモノへは、眼もくれないのが人間。
他方で意味を持たない、ただそこに存在するだけのモノに愛着や畏敬の念を持つのも人間。
何と身勝手で不文律な動物。
身勝手だからこそ、知恵を絞って生きて行かなくてはいけない・・・?
昔の偉人、例えば釈尊は念仏を唱えろとか、巻物を書いて後世に伝えろとか、内緒にしろとか言ったのだろうか・・・?
イエスもあるいは他の神々も、生きている多くの人々に、例えば何かを封印したり、解放したり、あるいは人に伝える事のない、言えないモノを腹蔵している伝道師とか、そんな偉人・変人は果たしていたのでしょうか・・・?
何かを主張しながら日々生活したり、主義で人生の軌道から外れないようにする事は、ある意味ポジティブに評価されるけれども、それが絶対であるとも言えないから、必ず反作用も表出するでしょう。
ナンセンスな音楽とか絵画、彫塑が、何らの意味も持たず何が何だか訳も分からないのに、心に残ったりもする。
ナンセンスだしメッセージもせず、本来なら多くの人間から無視される存在。
人間の心に作用する波長(光・色・温度・音)とかではない、漠然とした存在。
人間って何でもかでも芸術にしたり、メッセージを持たせたりしたがる生き物。